縁起

縁起

妙見山浄昇寺の始まりは鈴木文七という禅宗の信者さんがおりました。若いころに眼病を患い、ついに両目とも失明してしまいました。そこで鈴木文七は禅宗の信者ということもあり、ある人に勧められ、八事の奥の谷間にあった御場の滝(現在の八事火葬場周辺)のこもり水をかぶり三十七日間水行祈念することをきめ、その三十七日目の満願前夜、夢枕に旅の僧が現れ、「摂津の国、能勢の妙見堂(大阪府)にいって御分身を頂いてこの地で供養しなさい」とのお告げを受けました。その次の日鈴木文七が滝にうたれているとき、太陽が飛び込んだように両目に衝撃が走ったとともに眼が開き見えるように回復されました。

鈴木文七はさっそく旅立ち、能勢の妙見山で妙見大菩薩の御分身を頂きました。(この御分身というのは身延山第二十一代住職の日乾上人が能勢の妙見大菩薩と同じ木で刻んだものである。)その後、鈴木文七は高さ十五センチ程の小さなお像を妙見堂正面に納め、天保三年二月妙見堂を建立しました。

その後鈴木文七が開祖の日諦上人で二代目を上人の妹が継ぎ、それ以降、現在の住職になるまで、尼僧によって住職が受け継がれています。そして昭和五十六年四月十三日、日蓮聖人第七百遠忌を記念して、本堂と庫裡が建てられた。

土地の方々は川名にあるため「川名の妙見さま」と親しみ、今では町名にもなっております。


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